京都の定番土産・京菓子
京都に行ったとき、必ず喜ばれるお土産といえば「京菓子」ではないでしょうか。京菓子は、目で美しい色や形を楽しみ、舌で感触と味を楽しみ、鼻で香りを楽しむ伝統ある菓子文化と言われています。
このページでは、おすすめの京菓子と起源を紹介しています。是非最後までご覧ください。
京菓子とは?
はじめに京菓子の定義をおさらいしておきましょう。京菓子とは、なにを指す言葉なのでしょうか。
京都発祥のお菓子のこと?それとも、京都で修行を積んだ職人さんが作ったお菓子のこと?
一般的に京菓子とは、「京都で作られるお菓子」のことを指す言葉とされていますが、実は、京菓子の定義は明確ではありません。
江戸で成立した江戸式の菓子・上菓子に対する言葉として、「京菓子」と名付けられたと言われています。
ここからは、京都で作られるお菓子(京菓子)を紹介していきます。
京菓子紹介
八ツ橋
京菓子を代表する和菓子の1つ「八ツ橋」と派生菓子の「生八ツ橋」。どちらも京都土産の定番ですよね。
八ツ橋の起源は不明な部分が多いですが、箏曲の開祖と称えられる江戸時代前期の音楽家・八橋検校の業績を偲び、箏の形を模した煎餅を「八ツ橋」と名付けた説。
平城天皇の孫で、歌人としても名高い在原業平を偲び、在原業平を思わせる男を主人公とした歌集『伊勢物語』の第九段「かきつばた」の舞台・三河国八橋にかけ、八枚橋の形を模した菓子を作ったとする説。
以上の2つの説が有力とされています。
「八ツ橋」が始めて売られたのは、1689年、京都聖護院村の茶店だとされていて、1889年のパリ万博で八ツ橋が銀賞を受賞したことで一躍脚光を浴び、1960年代には「生八ツ橋」が誕生しました。
味噌松風
小麦粉・卵・砂糖・味噌を混ぜて、平たく焼いてロール状に丸めたり、カステラのように厚く型に入れて焼いたりする、京都を代表する焼き菓子の一種です。起源ははっきりしておらず、京都の大徳寺の住職が考案したお菓子であった説、一向一揆の際の食糧という説などがあります。
江戸時代には、朝廷や幕府にも献上されていたとされる、歴史ある京菓子です。
きんとん
餡を練り切り、餡または求肥で包んで、練って裏ごししたそぼろ状の餡をつけた生菓子を指します。留学を目的に中国へ渡った僧が持ち帰ったとされる、「こん飩(とん)」が元だと言われています。
平安時代頃では、元旦など特別な行事の際に供えられていたそうです。
葛菓子
葛からとれる葛粉を使用した和菓子のことを言います。奈良県吉野山の銘菓で、京都では葛饅頭が有名です。宇陀松山藩の藩政記録「御用部屋日記」に、葛粉を贈答品に使ったことが記されていて、安土桃山時代には茶席で葛菓子が登場していたとされています。
江戸時代後半には、すでに高い品質評価を得ていたそうです。
羊羹
人気の京菓子・羊羹は、元々は中国大陸の料理で、羊羹は羊の肉を煮たスープの類でした。
鎌倉時代から室町時代に禅僧によって日本に伝えられましたが、禅宗では肉食が禁じられているため、羊肉の代わりに小豆や小麦粉などで精進料理として作っていました。それが、現在の羊羹の原型になったとされています。
南蛮菓子
安土桃山時代に外国から輸入された菓子のことを「南蛮菓子」と言います。主な南蛮菓子は、ポルトガル人から伝わったカステラ・ビスケット・金平糖などです。
南蛮菓子は、キリスト教宣教師が布教のために配布したとされています。江戸時代に入ると、キリスト教の布教が禁止され、宣教師も追放されましたが、当時の日本では砂糖がとても貴重だったため、甘い南蛮菓子は国内に根付いていったとされています。
以後、南蛮菓子も京菓子とされ、発展していきました。